vol.87「雑草魂」で大活躍した上原浩治投手と潜在意識【人生を好転させる潜在意識の活用法】

巨人にドラフト1位で入団、日本球界で活躍後にメジャーリーグに移籍、数多くの記録を残し、昨シーズンから日本球界に復帰していた上原浩治投手が、2019年5月20日に44歳で現役からの引退を発表しました。上原投手は、過去のプロ野球の歴史に残る数多くの優れた投手に勝るとも劣らない投手です。

 

しかし、過去の名投手の多くはプロ野球で活躍する前の学生時代やアマチュア野球時代から華やかなエリート街道を歩み、スポットライトを浴びてきているのに対して、上原投手は決して華やかなエリート街道を歩んできていません。高校時代は無名の控え投手でバッティングピッチャーをする非エリートの選手でした。

多くのエリート選手は、大学へは推薦枠で簡単に入学できますが、上原投手は受験した大学も不合格になり浪人をして翌年ようやく入学します。上原投手にとってこのときの経験は、非常に悔しくて生涯忘れられない経験となります。決してエリートでもなく挫折を経験しながら歩んだ上原投手は、このときの悔しさを「負けたくないという反骨心」としてエネルギーに変えて大投手へと歩んでいきました。

 

上原投手は、エリートではなかった自分を雑草に例えた「雑草魂」の言葉は、非エリートであった選手がプロ野球で大成功したとして社会に与えた影響も大きく1999年の流行語大賞に選ばれています。

上原投手に限らず、悔しさをバネに自分自身を大きく成長させて人生で成功した人はたくさんいます。しかし、一方で悔しい思いは「ネガティブ思考」であることから、ポジティブな行動に結びつきにくく夢や希望を実現させて人生で成功することは決して簡単ではありません。

そこで、上原投手のようにエリート投手ではなくても悔しさや反骨心を象徴する「雑草魂」で人生を成功させるには潜在意識の活用が重要なことについて紹介します。

 

■上原投手が大投手であることを示す数々の記録

上原投手の持つすばらしい記録について紹介します。

上原投手は、巨人に入団した初年度の1999年に20勝4敗の好成績を残し、新人投手として19年ぶりの20勝投手になったほか、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手の主要4部門で1位になります。これは、新人投手として史上3人目の投手4冠の達成です。また、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、沢村賞も受賞するなどの賞を総なめにします。2年目以降も巨人だけでなく日本球界のエースとして大活躍。

 

2009年にはメジャーリーグに移籍。アメリカでは、オリオールズ、レンジャーズ、レッドソックス、カブスと4球団に所属。レッドソックスに移籍した初年度は、救援投手として活躍し、防御率1.09、13ホールド21セーブ、奪三振101、与四球9と驚異的な活躍で、チームのワールドシリーズ制覇に貢献、胴上げ投手になります。

このときの救援投手としての100奪三振をこえたのは同球団史上初の出来事で、救援投手での「WHIP」が0.57は、メジャーリーグの歴代1位となる記録でした。「WHIP」とは投手の能力を評価する項目の1つで、「1投球回あたり何人の走者を出したかを表す数値」です。最も良い評価が1.0、最も悪い評価が1.6とされており、0.57は極めて良い評価になる数値です。

 

メジャーリーグでの通算成績は22勝26敗81ホールド95セーブ。日本での通算成績は112勝67敗23ホールド33セーブ。日米通算では134勝93敗104ホールド128セーブです。上原投手が成し遂げた勝利数、ホールド数、セーブ数がすべて100を上回るトリプル100は、長い歴史のあるメジャーリーグでも達成者は1人のみ、日本ではもちろん史上初という大記録です。

 

これだけでも記録に残る大投手ですが、さらに投手の能力が分かる最も重要な指標の1つ「K/BB」でも上原投手は歴代で最高の数字を持つ投手です。「K/BB」とは、奪三振数を与えた四球数で割った数値のことです。

この数値が高い投手は、最もチームにとって安全なアウトの三振が多く、無駄な点を与える可能性のある四球を与えない投手ということになって、優秀な投手を証明する数値です。この数値の日本プロ野球での歴代ベスト5は以下のとおりです(1500イニング以上投げた投手に限定)

 

1.上原浩治 6.68
2.土橋正幸 4.61
3.杉浦忠  4.29
4.稲尾和久 3.58
5.村山実  3.55

ダントツで上原投手が高い数値の1位です。メジャーリーグでの記録1位は、20世紀以降ではカート・シリング投手の4.38であるので、日米の野球の違いの差もありますが、メジャーリーグの数値も大きく上回ります。これらの記録から勝利数こそ歴代の大投手に及びませんが、プロ野球史に残る大投手の1人です。

 

■決してエリートではなかった上原投手

多くの一流選手は中学、高校時代から才能を開花させています。しかし、上原投手は、中学時代は中学校に野球部がなかったことから少年野球チームに所属しながら陸上部に所属。野球が強い地元の高校に進学します。しかし、エース投手は別におり、打撃投手を務める控え投手でまったくの無名選手でした。

上原投手自身も、このころはプロ野球に入る意志はなく体育教師になる夢のため大阪体育大学を受験します。しかし、運動能力、学力とも合格ラインに達していると思っていたにもかかわらず不合格。このショックは、上原選手には忘れられないほどの強烈な悔しさを与えます。

 

浪人してもう一度受験することを決意し、予備校に通いながら、ジムでトレーニングを積み、家計への負担を減らすために夜間は道路工事のアルバイトもこなしてがんばります。翌年、希望の大学に無事合格します。

このように上原投手は、大学入学まではごく普通の野球少年でした。しかし、大学で野球部に入ったところ、浪人時代に受験勉強のかたわらに努力したトレーニングや肉体を使ったアルバイトなどで体ができあがったのか、投手としての才能をようやく開花させ、大学野球部でプロ野球からも注目される投手になっていきます。

 

■上原投手の雑草魂と潜在意識

上原投手は19歳のときに大学受験に失敗したことが、よほど悔しかったのでしょう。このときのことを忘れないようにと巨人に入団して、悔しさを感じたときの年齢の「19」を背番号に希望します。
悔しさを忘れないようにと常に悔しさをバネにすることを意識したことからこそ、厳しいプロの世界でも実力を出し切れたと考えられます。上原投手に19歳のときの挫折がなかったら、ごく普通の体育教師で終わったのかもしれない可能性があります。上原投手に限らず悔しさは、モチベーションを高める大きな原動力になります。

しかし、悔しさはネガティブ思考なので、ストレスホルモンであるコルチゾールが通常よりも高く分泌されることで不安、睡眠トラブル、記憶力や集中力の欠如などの症状がみられることが研究で分かっています。また、別の研究によると、悔しさからくる恨みや怒りの感情を抱いたまま過ごして、目標を達成できないとまったく関係のない人にも攻撃的になり害を及ぼすことがわかっています。

 

このようになると、前向きで生産的な行動はできなくなります。悔しさを良い方向に持っていく原動力にするには、その悔しさをポジティブなイメージに変換し、潜在意識に植え付けて、悔しさをポジティブな行動に結びつけることが重要です。悔しいと思うだけでは一時的に頑張ろうという気を強く持てますが、その気持ちは上記の理由から決して長続きしません。むしろ、悔しさだけを心に抱き続けると、かえって精神衛生上はマイナスになって生活が大きく乱れます。

 

上原投手は、「自分を引っ張ってくれる理想像を鮮明に思い描くことで、それを目指して頑張ることができる」と発言しています。この発言から、上原投手は単に悔しがるだけでなく、その悔しさを自分の理想像として潜在意識に植え付けて自分自身を鼓舞し、ポジティブに行動できるようにしていたことが分かります。潜在意識の活用で悔しさのエネルギーを夢や希望をかなえる大きな原動力にできます。

 

人生を好転させる潜在意識の活用法

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