「夜と霧」には、精神科医で心理学者であったヴィクトール・フランクルが、ユダヤ人という理由だけでナチスの強制収容所に収容されたときの絶望が支配する過酷な環境下における体験が記されています。
同書には、体験者でなければ書けない濃密な内容が凝縮されています。そこからはナチスの非人間的な行為が浮かび上がってきますが、著者の目的は、ナチスへの批判や告発ではなく「過酷な環境下でも人生をどう生きるか」「人生とは何か」が心理学者の目を通して描かれています。
著者は、「ナチスの強制収容所のような明日はガス室に送られて死ぬかもしれないという恐怖におびえ、人間が生きるために必要な最低限の条件も欠くほどの貧しい食料と劣悪な住環境で「生きるも地獄、死ぬも地獄」の状況下でも、「人生を生きる勇気と希望を持てる」と同書で説いています。
今、日本は世界の国からみると豊かで恵まれた国ですが、人生に絶望して自殺する人の割合は多く、先進国のなかでは上位です。
同級生や両親から受けるいじめや虐待で死しか逃げ場所がないと感じている人、老老介護に疲れてこれ以上の介護に絶望を感じている人、あるいは、自殺を考えるまでは追い込まれなくても格差ばかり広がる社会など何かと閉塞感のある人生に生きる望みや目的を失いかけている人は増加していると考えられます。
また、重い病気やケガで人生に絶望を感じることもいつ起きるか分かりません。自殺を考える人にとっての環境と安易にナチスの強制収容所の環境を比較、あるいは同一に考えることはできませんが、ナチスの強制収容所の生活ほど生きる希望を失わせる環境は存在しないでしょう。
その意味で、「夜と霧」には現状に希望を見いだせない人にとって、あるいは積極的に生きる希望を見いだしたい人にとって極めて重要なメッセージが込められています。人生は、山あり谷ありで生きていくには耐えられない、死にたい、逃げ出したいというときが誰にでも程度の差はあれ必ず存在します。
そのようなときでも前向きに生きていく方法、あるいは強いストレスに対しても負けない「レジリエンス(打たれ強さ)」を高めることの必要性を同書は教えてくれます。そこで、同書を通じて著者が言いたいことと潜在意識の関係について紹介します。
■過酷な環境を生き抜けた人は生きることに希望を見いだせた人
著者によると、人間としての尊厳を奪われた生活、そしていつ死が訪れるかもしれない極限の状況で生き残れたのは、偶然の幸運にも左右されますが、生きる目的を見いだせた人は強制収容所のような過酷で絶望的な環境下でも生き延びられました。
一方、生きる目的を見いだせなかった人は、精神だけでなく身体的にも弱り、病気などで死んでいきました。このことは、イギリスポーツマス大学のジョン・リーチ博士の研究によって、「精神的な逃げ場がどこにもないと感じてしまう人は、自殺でもなく、うつ病とも関係なく、生きることがどうでもよくなってから通常、3週間、場合によってはそれよりもっと早く亡くなってしまう事例」が実際にあることが明らかになっています。
では、絶望的な状況のなかでどのようにして生きる目的を見いだせるでしょうか? 生きる目的を見いだせないから、人は絶望するので生きる目的を見いだすことは簡単ではありません。そこで、著者は、「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」というニーチェの言葉を引用します。
そして、「何がしたいのか」「何が満たされれば満足できるのか」と「自分の欲求を満たすこと」「人生に何を期待できるか」と、「自分自身が人生の意味を問う」のではなく、「自分自身が人生から何を問われているのか」と考えることであると言います。
確かに、母親が子どもの危険に際して身代わりになって死ぬこともあるように、子どもから必要とされている場合、その子どものためには究極の選択肢である自分の死をもって子どもを守ることがあります。これができる母親は、子どもを愛する=子どもを愛すべき責任を強く負っていると意識しているからできる行為です。
この場合、子どもが死ぬほどの危険に遭わない限り母親は自分の都合で死を選ぶなど人生から逃げ出す行動は決して行いません。つまり、「やりたいこと」ではなく「自分の人生にはやるべきことがあること」を人生の目的に持つことです。
■自分の人生にやるべきことがあることを強く持つには潜在意識が重要
自分の人生にやるべきことがあることを強く持つことは簡単ではありません。なぜなら人間は自分のしたいことをまず強く望むからです。しかし、この場合、その望みが達成できない思えたときには生きる目的が失われます。
そこで、生きることで自分は何を得られるかを求めるのではなく、よりよい人生を生きるためには何をしなければならないかと考えることです。自分のやりたいことを潜在意識に強くイメージすることも前向きに生きるには効果的ですが、過酷な環境で絶望しか感じられない厳しい環境でも前向きに生きていくという強い意志を持てるのは、子どものために生きる母親のように何のために人生を生かされているのかを強く潜在意識に持つことです。
日常生活では生きることを意識することは自分の願望のため多々ありますが、生かされていることを意識する機会はあまりありません。
そのため過酷な環境に負けないで生き抜いていくには、「何のために自分は生かされているのか」「自分の人生でやるべきことは何か」「自分を待っている人は誰か」などを潜在意識に強くイメージすることで生きる目的を失わずに生きられます。