世界のホンダといえば、以前は本田技研工業創業者の本田宗一郎さんの事でしたが、
今ではサッカーの本田圭佑選手も思い浮かびます。
まずは本田宗一郎さんのお話
二輪車からスタートした本田技研工業(ホンダ)を自動車でも世界的なメーカーに育てあげた本田宗一郎さんは、
「成功者は、例え不運な事態に見舞われても、この試練を乗り越えたら必ず成功すると考えている。
そして、最後まで諦めなかった人間が成功しているのである」
という言葉を残しています。
成功者とそうでない人を分ける最大の分岐点は、ここなのです。
強く願っているにもかかわらず、失敗してしまった。
このとき「失敗だ。もう終わりだ」と考えれば、本当にそこで終わってしまいます。
その失敗は
「成功のためのプロセスの一つだ」と考える。
これが成功への道です。
もし、そこまで前向きになれなかったとしても、絶対に実現したいと思い続けられるかどうか。
ここで運命が分かれ、成功者とそうでない人が決まってしまうのです。
続いて本田圭佑選手のお話
日本代表では、若手FW勢の台頭でベンチを温める事も多くなりましたが、移籍先のメキシコのクラブで初ゴールも決めましたし、現役の日本代表でありながら日本最大のサッカースクールと3つの海外クラブのオーナーという前人未到の大活躍ぶりであり、この先も目が離せません。
そんな本田選手が小学校6年生の時に書いた有名な卒業文集「将来の夢」は、正に潜在意識活用のお手本のような内容でした。
「将来の夢」
ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。
だから、今、ぼくはガンバッている。
今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。
そして、世界一になったら、大金持ちになって親孝行する。
Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。
そしてレギュラーになって10番で活躍します。
一年間の給料は40億円はほしいです。
プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り、世界中の人が、このぼくが作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。
一方、世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。
セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。
ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。
この得点も兄と力を合わせ、世界の強ゴウをうまくかわし、いいパスをだし合って得点を入れることが、ぼくの夢です。
凡百と言うと言い過ぎかも知れませんが、正直、そこまで注目されていなかったサッカー少年時代。
未来や夢を具体的に断定形で表現し、20年近く経った現在、そのほとんどを実現させています。
潜在意識の働かせ方を誰かに教わったのか、天から授かったのか解りませんが、この卒業文集にはきっと続きがあって、それに向けて邁進している事と私たちは考えています。
常にスケールの大きい夢を抱き実現させていく本田選手に今後も期待せざる得ません。