vol.96アメリカメジャーの大谷選手をこえる素質!?高校球児佐々木選手と潜在意識【人生を好転させる潜在意識の活用法】

岩手県立大船渡高校のエースで4番打者の佐々木朗希選手は、アメリカメジャーリーグで二刀流(今年は手術の影響で打者のみの一刀流)として大活躍する大谷選手の高校時代の投手として素質を比べてみても勝るとも劣らないと言われています。
そして、「令和の怪物」と称され、野球ファンだけでなく多くの人の関心を集めています。その注目度は高く、日本のプロ野球関係者だけでなくアメリカのマスコミやメジャーリーグ関係者が、まだ高校生の佐々木選手について無限の可能性があると言及しています。

非公式に計測された記録ですが球速は大谷選手をこえる163キロを投げ、試合では大谷選手と同じ160キロを記録しています。さらに、プロ野球の専門家は球速に加えて、ピッチングフォームが大谷選手よりも打者が打ちにくいフォームで投げると評価していることからピッチャーとして大谷選手をこえる素質があると考えられている逸材です。

 

その佐々木選手は岩手県予選の準決勝戦(7月24日)で投げて相手高校に完封勝ちをし、決勝戦への進出を決めました。当然、翌日の決勝戦でも投げることが期待されていましたが、予想と期待に反して決勝戦では、リリーフピッチャーとして一球も投げることもなく、また打者として4番バッターを任されていながら一度も打席に立つこともなく同じ岩手県出身の大谷選手の母校である花巻東高校に敗戦。
高校球児の最大の夢・目標である甲子園出場がかなえられませんでした。

佐々木選手を試合に出さなかったのは、大船渡高校の国保監督が下した苦渋の判断の結果です。その決断に関して野球関係者だけにとどまらず他のプロスポーツ界から賛否が寄せられています。
そこで、その決断の賛否や国保監督と佐々木選手も含めた大船渡高校野球部員との絆の強さを潜在意識から考えてみたいと思います。

 

■佐々木選手を決勝戦に出場させなかった国保監督の考えと判断

甲子園は高校球児全員にとってはオリンピックにも匹敵する憧れ・夢の舞台です。そして高校球児だけでなく監督、高校の教育関係者、卒業生、球児の両親や親族なども同様に出場を強く望む舞台であったはずです。
そのような舞台への可能性を実現させてくれる可能性が最も高い佐々木選手をあえて出場させなかった国保監督の考えについては、特に佐々木選手がケガや肉体的な疲労などでまったく投げられないという状況ではなかったために賛否両論が渦巻いています。おそらく国保監督でなかったとしたら、そして大船渡高校が甲子園出場を最優先とする私学の強豪高校であったなら、佐々木選手は本人の意志と無関係に決勝戦でも投げていた(もしくは投げさせられていた)と推測されます。しかし、国保監督はすべての責任を自身で負う覚悟で佐々木選手の将来のために投げさせませんでした。

 

国保監督の判断の裏には、分かっている事実として佐々木選手は決勝戦(7月25日)の前日(7月24日)の準決勝戦に129球を投げ、その前々日(7月21日)の4回戦に194球を投げていました。それ以外にも国保監督が佐々木選手に投げさせなかった理由があると考えられます。

予選に限らず高校野球では、エースにかかる負担が大きく例えば、昨年の甲子園で話題になった金足農業の吉田輝星選手は甲子園だけで合計878球を投げています。その前には早稲田実業のハンカチ王子として有名な斎藤佑樹選手は2018年までで最も球数が多い948球を投げています。

それに対して佐々木選手の岩手県大会での球数は、合計で435球と半分程度です。ただし、4回戦で194球を投げた後は、肘痛を訴えて準々決勝戦で投げることを回避しています。435球のうち決勝前日までの4日間に全投球数の4分3の323球を投げていました。これらの事情から、将来甲子園よりもさらに上の舞台での活躍が期待できる選手を無理に投げさせて、体に負担がかかって体が壊れることを回避したほうが、総合的に見て良いと判断したのが国保監督です。

 

国保監督の今回の判断について賛否両論があります。批判する人は、高校時代はむしろたくさん投げたほうが、体ができあがることや、高校時代に投げすぎて肩を壊した選手の例は少ないことなどを根拠にしています。
しかし、一方で医師の高須院長は、「関節や靭帯(じんたい)や骨は鍛えられません。消耗品です。一度壊すともとの状態に回復するのは困難」と国保監督の判断を支持。また、アメリカメジャーで活躍するダルビッシュ選手も自分の経験を踏まえて国保監督の判断を支持しています。

この判断を考えるうえで、最も大切なことは佐々木選手にとって甲子園出場は単なる通過点であって、目的・目標とすべき舞台ではないこと、選手の健康管理は監督の責任であることを考えると、監督の判断は最大限に尊重をしなければならないということです。

 

■佐々木選手を含む部員と監督の潜在意識によって生まれた強い連帯意識

国保監督にとって苦渋の決断であったことは、佐々木選手にとっては甲子園出場が単なる通過点であっても他の部員にとっては最終目標であった選手が多いと考えられることです。まして野球は、1つの目標を設定したら、そこに全員すべてのエネルギーを集中させてチームプレーで戦う競技です。佐々木選手のことだけを配慮していれば闘うモチベーションは上がらなかったはずです。

 

1人のスーパースターがいても大船渡高校がまとまっていたのは、佐々木選手が県内外の強豪高校から入部を誘われていたにもかかわらず同じ仲間と野球をしたいと大船渡高校に入学したことです。国保監督にも、この並外れた能力を持つ佐々木選手の仲間を思う気持ちは伝わったはずです。
そして、佐々木選手を中心としたチームではあるけど選手全員のことを考えて行うチームでなければならないという共通の連帯意識は、監督としてまとめる国保監督が、おそらく一番強く感じたのではないでしょうか。一部に佐々木選手が決勝戦に投げずに敗戦したことで「甲子園に行く気がないのかという」意味の心無いヤジがあったそうです。

 

しかし、これはとんでもない間違いのヤジです。国保監督が佐々木選手の将来を考えて、甲子園出場を最優先に考えていなかったわけではありません。そのことは、4回戦で佐々木選手1人に194球を投げさせてまで勝ちにいったことです。この試合、佐々木選手に任せなければ負けるという危機感があったのでしょう。
それほど甲子園に執着を示した監督であればこそ、決勝戦で佐々木選手を出場させなくても選手たちは納得できたのです。このことだけでなく国保監督の選手ファーストに考える方針がチーム全体の潜在意識(集合的無意識)にまで透徹していたからこそ佐々木選手や他の野球部員を監督の判断に納得ができたのでしょう。

チームや組織を引っ張って強くするには、地位を利用した権力に依存するだけでは成功できません。自分の考えをチーム、組織の全員の潜在意識(集合的無意識)にまで透徹させることが必要です。

人生を好転させる潜在意識の活用法

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