2019年11月7日に世界中のボクシングファンが注目したWBSSバンタム級の決勝戦が行われ、井上尚弥選手が5階級制覇チャンピオンのノニト・ドネア(フィリピン)選手を下して優勝しました。決勝戦では、多くの人は、今までの井上選手が強敵と思われた選手でも早いラウンドで相手を圧倒する鮮やかなKO勝利を続けていたことから、今回も早いラウンドでもKO勝利を期待していました。
しかし、結果は勝利したとはいえ、ドネア選手のパンチを受けて初めて顔面から流血をしたり、強烈なパンチを受けてダウン寸前になったりしながらフルラウンドを戦ったうえでの判定勝ちでした。
KO勝利を期待していた人から見ると期待はずれであり、井上選手の圧倒的な強さに疑問を抱かせるような試合内容でした。しかし、今回の試合結果は、井上選手の圧倒的な強さにいささかも疑問符がつく内容ではなかったこと、および井上選手の強さの裏には、やはり潜在意識が大きく関係していたことについて紹介します。
■流血によって戦い方を変えざるを得なかった井上選手
井上選手は、2ラウンドにドネア選手の得意なパンチである強烈な左フックを右目に受けて目の上をカットし、アマチュア・プロを通じて初の流血を経験します。医師によると、この傷がもう少し深いと筋肉まで達することから試合は、その時点でストップになるほどの重い傷でした。
さらに、眼球にも異変を感じ、目も骨折させられて視界はぼやけ、ドネア選手が二重に見えたと井上選手が試合後に語っています。傷口にパンチをさらにもらえば試合が止められ負けが確定します。
また、目がよく見えていない状態になっていることをドネア選手に悟られると井上選手の強いパンチを警戒した戦い方を変えて、強気に攻撃されてくるリスクが増えます。そのため井上選手は傷口がこれ以上深くならないように、そして目が見えにくくなって視界がかすんでいることを悟られずに戦うことを強いられることになります。
そこで、井上選手は右目を隠すようにガードを上げる構えをして足を使って距離を取り、左ジャブを放ち試合を組み立てていきます。ドネア選手をぐらつかせるパンチを放っても視界がかすむため追撃や、積極的な攻撃もドネア選手のカウンターを警戒して控えた戦い方を行います。
さらに、判定になることを見越して体力と傷の回復のために7、8ラウンドの攻撃のペースを落として終盤のラウンドに備えることを決断します。この結果、今までの井上選手とは違った戦い方になったことから判定までもつれ込んでの勝利となりました。
どんな一流のボクサーでも相手のパンチをすべて避けることは不可能です。そして運悪くそのパンチで負傷する可能性があります。逆に言うと、今回のような試合展開では井上選手でなければフレキシブルに戦い方を変えて勝利することは不可能であった可能性があります。どのような状況になっても、勝利するために必要な最善な戦い方を選んで、それをやり通せる技術と冷静な頭脳、そしてダウン寸前になるほどのパンチを受けて判定までもつれ込んでも12ラウンドを戦い抜ける精神的な気力・肉体的なスタミナが必要です。
今まで相手選手を圧倒した勝利を続けていたため、分からなかった井上選手の能力が今回の試合で判明しました。そのため今回の勝利は、今までの勝利以上に井上選手の強さが証明されたといえます。この井上選手の強さは、類まれな才能だけにおぼれないで基礎を徹底的に重視した努力の積み重ねと、意識の高さにあります。
■井上選手の強さと潜在意識
井上選手は素晴らしいボクシングの才能がありますが、トレーナーで生まれたときから井上選手を見ている父親でもある井上真吾氏は、決して天才ではないといいます。事実、一般的な体力測定結果や動体視力、反射神経などは一般成人男性の平均と大きく差はありません。
しかし、井上選手はボクシングの練習が極めて単調なうえに過酷でつらい基本動作の繰り返しで面白くないのですが、その基本練習を徹底的に体が覚えるまで反復練習の努力をしたことで、それが潜在意識に刻み込まれて類まれなボクシングセンスが身についたと考えられます。
そして、強さを支えているもう1つの理由はボクシングに対する姿勢です。一般的なボクシング選手は、まず目の前の勝負に勝って最終的には世界チャンピオンになることを目標にします。
しかし、井上選手は、世界チャンピオンは結果であって目標ではなく、「強い選手と戦い、その強い選手をどう倒すか。強敵に対してどう戦うかにモチベーションがある」といいます。誰にも負けない自分自身をイメージして、それを目標にしているから過酷で単調な練習も乗り越えられているのでしょう。相手選手に勝ちたいという意識よりも、どんなに強い相手選手よりも強い自分自身を目標にしていると思われます。
教育の世界と勝負の世界は比較できませんが、学校教育の場でテストなど他の生徒よりも良い点をいかにとるかという競争原理を働かせる教育と、競争をさせるのではなく好きなことを自由にやらせる教育では、全体の成績は後者のほうが優れていることが北欧の国の研究で判明しています。井上選手は、ただ単に相手選手に勝つために過酷な練習をするのではなく、強い選手と戦って負けたくない自分自身に魅力を強く感じているため異次元の強さを身につけられ、それを発揮できていると思えます。
また、メルマガで前に紹介しました「タイガー・ウッズ選手と潜在意識」の話題で、ウッズ選手が相手選手のパットが入らなければ自分が勝てるのに「入るな!」と思わずに「入れ!」と思うことに通じている部分があります。世界チャンピオンになることが目標だと、そこで進歩が止まる可能性がありますが、強くなりたい自分自身を潜在意識に強くイメージしている井上選手には限界がなく、これからさらに強くなっていくことでしょう。